こんにちは。若女将です。
絹ながら、ぱーんとした張り感。
野趣あふれる節のある風合い。
色は、生成色。
私がお嫁にきて、一番最初に作ってもらった夏の着物は、こちらでした↓
涼しげな色合いで、さらりと、ふぐちょうちんが描かれています。
着物のことなんて、さっぱり分からない小娘でしたが、なんて、素敵。これを着たら、私でも着物通に見えるかも・・・なんて、思ったことをぼんやりと覚えています。
確かに、こちらの着物に、榀布の帯の相性は抜群で、ご飯を食べに行けば、知らない方々から、「なんて、素敵~」と何もわかっていな私に、そんなうれしい言葉をかけてくださった若いころの思い出が詰まっています。
この夏の着物。「生紬」と呼ばれていました。そう。よばれていた・・んです。
意味深な書き方をするにはわけがあります。
今回こちらのブログで書きたいことは、この「生紬」にかかわる、ややこしいことではなくて、
素材感たっぷり・味わいのあるこの織物のことです。
なのですが、名前のことで、少し、「切ない話」も書かざるを得ないので、そのあたりのことも少し知っている範囲で触れようと思います。
目次
・命名のこと。
・他メーカーによる商標登録のこと
小松屋会長 弓削徳明氏のこと
・小松屋時代の風情たっぷり生紬がもう出来てこない理由
・写真でみる生紬の変遷
・小松屋の風情たっぷり生紬。残り僅か。
※小松屋さんの生紬について
お問合せはこちらからもどうぞ。
第1章
あまり知られていない話。
生紬にまつわる切なく感じる「物語」
もともと、生紬とは、昭和40年代。
小松屋という着物メーカーの会長 弓削徳明氏が、世に送り出したものです。
着物をよく知っていらっしゃる方でも、「え?そうなの?」という反応をされます。
それぐらい、あまり知られていない寂しい話です。
当時、きれいな反物にならないような捨てられていた「くず糸」がたくさん農家にはありました。これらのくず糸を何か使えないかと、使用して織ったものが最初の生紬です。
この生紬を生み出した時代は、今とはちょっと違います。
節のある織物は、今でこそ魅力的な織物となっていますが、昔は、不良品としてみなされるようなそんな時代だったのです。
時代にさきがけて、だれからも見向きもされない素朴な風合い、野趣あふれる魅力を見出したのは、小松屋会長 弓削徳明という方でした。
この小松屋というメーカーが試行錯誤の末、製品化、命名し、世に送り出されたことは、今ではあまり知られていない切ない物語となってしまいました。
命名のこと
ときは昭和40年代。「生繭」をつかっていることから「生紬」と会長弓削氏が命名。
お嫁に来た頃の私は、「生チョコ」、「生キャラメル」、そのずっと前に、「生紬!(笑)。」
なんて、命名のセンスも、抜群♪(ちょうど、花畑牧場大ブームのころでした)と、若いころ独特のうきうきと心を弾ませたものです。
生紬について、また命名についても、当時の小松屋さんから頂いた資料を、後述します。
そして。
別のメーカーが商標登録の驚き
小松屋さんが世に送り出し、弓削会長が命名した生紬。
別のメーカーが商標登録という驚きと切なさ。
***
時代はさかのぼること、昭和40年代のこと。
「第一回目の 生紬 制作発表会」のときのこと。
これは、故弓削会長より、まだ若かりし当店の店主が、直接お聞きしたことですが、
当時、とてもお世話になっていたお召しメーカーから、
発表したばかりの生紬について勉強したいと言われたこと、
「そこで、工程を全部お見せしたんだ~。」と豪快に話をされていたこと。
**
今なら企業秘密といいたいところ、そういうことをしない豪快な方だったとお聞きします。
そして、時は流れ、
小松屋会長がご逝去されたのち、この当時のお召しメーカーが「生紬」を商標登録されます。
小松屋さんではなく。「別のメーカー」が商標登録をしたのです・・・。
詳しいことは分かりませんが、お嫁にきてまだ数年の私でも、衝撃の出来事でした。
既に弓削会長は亡くなっていましたが、
小松屋さんは、まだまだモノづくりに邁進していました。
当時のことを私もよく、覚えています。小松屋の社員さんが、「いやあ。もう。生紬って呼ばれないんですわ・・。まあ、生紬って呼んでもらってもいいんですけどね。・・・」
「???」「何?どういうこと???」
「小松屋さんが作り出した生紬なのに???」
考えてみれば、一番の悲しい出来事は、
会長の才能あふれる息子さんが、会長を残して、早世されたことかもしれません。
小松屋さんは、この弓削徳明会長が亡くなられた後、20年を経ないころでしょうか、
歴史に幕を閉じることになります。廃業という形です。
☆生紬の資料の一部抜粋
これは、当時、小松屋からいただいた資料です。経緯が記されています。ご参考まで。
「生紬」
糸は、蚕が繭を作るときに最初に出す糸(繭のまわりにつく糸)を精練など加工をせずに、糸本来のまま織り上げています。
蚕が最初に出す糸は、、当時くず糸とされ、使用されずにいた糸です。
しかし、その独特の風合いに惹かれた会長は、昭和42年ごろから、試織し、昭和44年ごろに製品として完成させました。
その素朴な味わいや生成りの色、精錬されていない生糸の独特な風合いは、単衣や夏の着物として着用されることとなり、また、多くの類似品が出回るようになりました。
名前の由来は、「生紬」とあるように、生繭の糸(精練されていない糸)を使用ているところから、命名されています。
小松屋資料より
第2章
ところで
小松屋 会長 弓削徳明氏のこと を少し。
この生紬を生み出した弓削会長のことを記さずには、生紬のことを、伝えられないと思うので、書籍-「峠」弓削徳明の半生記-から少し引用しつつ、どんな方でどんな思いだったのかご紹介しようと思います。
とても魅力的な方だったとお聞きします。
佐々木家が、祖父の時から、お世話になり、魅了されつづけてきた方でしたから、お会いしたことのない私まで、いつの間にやら、思い入れがあります。この会長のお嬢様夫妻が、私たちの仲人をして下さいました。
「あんな頃は、小松屋さんに行く度に、それは、もう、はっ!とするものが、次から次へと染め上がってきて、ほんとすごかった。」とよく義母さんが言っていて羨ましく感じた私です。
美空ひばりとも親交があり、あのチャップリンともお会いしたことがある豪快な会長だったそうです。
小松屋とは
この会長が一代で築き上げた小松屋とは、
大胆で個性的で上質なものを
どんどん作り出していた
京都室町のメーカーです。
取引先は、一県に一店を基本(大都市圏を除く)を貫く「義理堅さ」。
個性的すぎて、
普通の呉服屋さんでは、扱いきれない。
そんな言われた方をするほど、
一目置かれた、芸術的な作品を輩出し続けてきたメーカーです。
今は、高級な浴衣として、定番となった「絹紅梅」はご存じでしょうか?
絹紅梅は、最近出てきた新しい浴衣だと、思われている方もいらっしゃると思うのですが、
(呉服屋さんでも、そう思っていらっしゃる方がいました)
祖父の最初のころから、小松屋さんでは取り扱われていて、当店では、そんなころから絹紅梅のゆかたを扱っていました。
だから、私の絹紅梅は、小松屋さんのものなんです。
店主が言うには、小松屋さんのは色が深みがあるそうで、もう、それも、残り2反ほどになりました。話がそれました・・。
「他にはないもの」これが、小松屋さんのアイデンティティかもしれません。
写真は、「峠」と題された弓削徳明半生記。こちらは、月刊誌「そめとおり」に連載していたものをまとめた書籍です。
「商売に二枚舌は厳禁」
「掛け値なしの一発勝負」
「気を入れて創ったものには力がある」
この本を読むと、この会長が、次から次へと、見たこともないようなものを作り出せたのかが、分かるような気がします。
「室町の一流に負けないにはどうしたらよいか。他にはないものを扱わなくてはならない、・・・・他よりも、品質の良いものを、他よりもよい値段で通す。」
「私がやっていたのは、今でいうオリジナルブランドというようなものだろう」
「商品は、我々が努力して作り上げたものだ。他の店では手に入ることがまずできないものばかりだ。」
右肩上がりの時代の流れにぴったりと合うような、そんな勢いのある豪快な会長だったとお聞きします。
第3章
そして生紬のこと
同じ手織りでも、驚きの「風情」の違い
以前の小松屋の隆盛時代の生紬は、野趣あふれ、
なんとも素朴な風情でした。
写真は、帯用白生地生紬です。(小松屋時代)。紬メーカーの方も、この生地をみて、「良い生地ですな~!もうこんなのないんですわ!」と。
そう。今は、こんな風合いは、もう、出来てこないのです。
小松屋の生紬は、国産の繭を赤城地方にて座繰りで糸を引き、
新潟で手織で織られいたものです。
こちらの写真の白生地は、特に腕の上手なおばあちゃまが織られたもので、この方も、もうお亡くなりになり、この風情を作りだせる方がいらっしゃいません・・。
名前が世に通っていなくても、上手な方って、いらっしゃったんです。
この風情がもう出来上がってこない理由
今でも、小松屋に関係していた人たちが、別のところで、細々とながら、少しずつ、
手織りの小松屋時代の生紬を目指して、生紬という名前を変え、作っています。
そちらには、是非、頑張ってもらいたいと切に願っておりますが
それでも、違うのです・・。
お客様さえも、「違う」と。
今も、新潟で手織りで織っているのですが、糸が違うようで。
国産の繭ではないこと、昔ながらの座繰りで糸を引く方法ではないことから、できなくなっています。
(これは、機屋さんにて確認いたしました)
むかし、たくさんあったくず糸とよばれる糸を、昔ながらの方法で、この今の時代に、再び作ろうと思うと、皮肉なことに、とても高額になってしまうのです。
佐々木では、先代のときより、
この小松屋さんが作る国産繭・手織りの生紬が、夏の定番として、本当に多くのお客様にお召しいただいてきました。
あまりにも、定番として、たくさん扱ってきましたので、まさか、もう無いなんて思いもせず、今は、貴重となった小松屋さんの作った国産繭・手織り生紬に袖を通していらっしゃることと思います。
②写真でみる小松屋の生紬の変遷。
これが本来の数十年前に織られた小松屋さんらしい「生紬」。大事に保存しています。
時代を経るごとに、糸質や、織る方の技術などに変化が生じ、
上のお写真のような迫力ある生紬に近づけようと思っても、織れなくなっているのが現状です。
小松屋最後の数年に染めていただいたものです。付け下げ付けの小紋を、毎年数反ずつ染めてもらってました。
生紬と名乗れなくなり、廃業された小松屋さんに関係していた方が、別の名前で発表されたものです。
徐々に節などが減ってきているのがわかります。
最初の味のある風情を知っている人からすると、きれいすぎる生紬です。
節の多少だけが大事なのではありません。
結果、着心地が変わってくるのです。
実際、長年生紬をお召しいただいているお客様から頂くお声は、本当に正直です。
しかし、もう、作れないのです・・。
③小松屋の風情たっぷり「生紬」。残り僅かとなりました。
当店に残る国産の繭で手織りで作られた小松屋時代の生紬は、実際、もう二桁にいかないほどの数となりました。
当店は、展示会やイベントにて、ガンガン、どしどし、と営業をするお店ではないので、必要な方に、必要なものを少しずつお見せするスタイル。
できるときに少しでも良いものを作っておこうと、小松屋さんが廃業される前に、毎年、数点ずつ、僅かながら、色や、文様など、佐々木好みで別注して、ためてきました。
また、小松屋さんが廃業されたのち、
小松屋におろしていた「機屋さん」に直接足を運び、残っていた生紬の白生地を数点、譲って頂き、少しずつ誂えたりしてきました。
(以前県外のお客様から、お問い合わせを頂いたのですが、白生地として残っているものは既にありません)
そんなわけで、
現在も、僅かながら小松屋が世に送り出した「生紬」が今も残っております。
大切に隠し持っていても仕方がないと思い、当店のオンラインショップにてご紹介させてもらおうと思ったのですが、
「生紬」という名前が、別の、メーカーにて商標登録されており、「生紬」としてご紹介できない・。でも、生紬以外、何てお伝えすればいいんだろう・・・。そんなわけで、いきさつもお伝えさせていただきました。
国産繭・手織りの小松屋の生紬の特徴
〇張りのある素材で、着るほどに体に馴染む小松屋の作った生紬は
・着付け初心者の方でも、着やすい!はりがありますから。
・張り付かないので、涼しくて、動きやすい。
・麻などに比べてしわになりにくいので、正座したあとの皺があまり気にならない。
〇色合いや文様にもよりますが、基本は、6月~9月まで着られるお召し物。
〇紬と言っても後染めなので、簡単なお茶会などでもお召しいただけます。
「附下」、無地に近い「付け下小紋」、「無地」があります。
お色も、いろいろございます。
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